奥武蔵アマチュア無線クラブの生い立ち
設 立・・・昭和35年6月28日
会 長・・・宮 原 義 雄 氏 副 会 長・・・坂 口 賢 司 氏
会 員 数・・・44名
奥武蔵クラブは、昭和35年6月 当時ジョンソン基地内にあった航空局管制本部無線課長の古藤氏(JA6QB)とFEN東京の西丸氏(JA0CA)が、飯能、入間、狭山地区のハム約20名で「狭山クラブ」として発足したのが始まりです。その後、昭和36年に奥武蔵駅伝に協力する事などにより飯能市でハムが増加し、飯能市、名栗村、日高町(当時)地区の愛好者で組織する「奥武蔵クラブ」と改名し再出発しました。
昭和36年から奥武蔵駅伝に協力することになり、当初はJARLの事務局長以下
数名と、CQ出版編集長以下数名が現場中継を手助けしてくれました。ただ当時は、 V・UHFの機器はなく、主として3.5MHz帯でした。昭和40年近くになって、ようや くVUHFで行い、同時に銀座通りの放送設備で放送し、UHF帯のTV中継も数回行 いました。昭和50年代後半になると、アマチュア業務でない放送等はできないことに なり中止せざるを得なくなりました。
写真左、左下・・・・UHF帯TV中継
写真右下・・・・・・銀座通りでのTV中継中
昭和44年11月、申請中のクラブ局JA1ZRMが許可になり、JARL主催の各種コ ンテストに、クラブとして参加できるようになり多峰主山、顔振峠、大野峠、刈場坂峠、竹寺、子の権現等にアンテナ、テントを張り、毎回10数名の参加を得てかなりの成 績を収めています。
また、移動実験では、山中湖一泊を数回、能登半島二泊、伊豆一泊等HFからV/ UHFまでかなりの好結果がありました。
昭和59年10月 やっと運用許可のでたレピーターを、当クラブでも芦刈場にて運 用開始。1292.92MHzで移動通信に大変役立っています。
写真左及び左下・・・顔振峠でのコンテスト参加風景
写真右下・・・・・山中湖移動実験参加者
最近の活動
写真左 飯能市文化祭での衛星通信 写真中央 2400MHzコンバーターでの受信実験 写真右デジタルSSTVの通信実験